
日本からいきなり海外へ転職する方法 その1 経験談
日本からいきなり海外へ転職?
激しいですね。
今回はそんな激しいチャレンジをした、骨頭さんにお越しいただきました。

こんにちは。
骨頭です。
海外へのいきなり転職、やってみようと思った。
あれは私がまだ20代半ばの頃でした。
仕事で実力を付けてきて、日本でそれなりのレベル、海外でも通じるのではないかというレベルになってきた感じがありました。
また、当時勤めていた会社が、ホワイトでは無かった事にも憤りがありました。
そんな事から、「この一連のプロジェクトに一区切りついたら海外へ出たい」と思うようになって来ました。
学生時代、英語は苦手だったので、中学生の英語の教科書を買い、語彙の本を買い、そして英会話スクールへも通い始めました。
もちろんスクールでの最初の診断では 最低ランク。
初歩の初歩から始める事になりました。
日本在住の外国人が集う教会へも行くようになりました。
今考え直して見ると、相当真剣だったのですね。
海外へ転職、リアルに動き始めた
仕事の忙しさが少し緩んだとき、海外への転職をリアルにリサーチし始めました。
英語の勉強を真剣に始めてから、2年くらい経った時でした。
どんな会社があるのか、そういう会社ってそもそも人員募集しているのか、応募ってどうするのか。
ヒーヒー言いながら、いろいろ資料を読んで、応募できる会社、送り先を探しました。
インターネットもありましたが、まだ本や媒体物が主流でした。
さぁ次はレズメ(履歴書)の制作です。
またヒーヒー言いながら、レズメの書き方を読み漁り、書かねばならない事を確認したら、日本語で原稿に起こしていきました。
それを稚拙な英語に訳し、英会話スクールに持って行き、添削してもらいました。
ちなみに、日本企業にいる人は皆そうでしょうけど、現行の会社にばれるのを怖がって、「応募は内密にお願いいたします。」とまず英語で入れたのが、Do not leak this information.でした。
これでは、戦争やスパイの情報がリークされるような響きになりますから、先生は大笑いしておりました。正しくは
Please keep my application confidential. が良いでしょう。
(でもそんなこと書く必要ないです。向こうからの連絡がばれる事なんてないですから。)
結構親切に見てもらいましたが、当時、英会話で先生の時間を45分押さえるのに、\6000位かかりましたから、結構苦しかったのです。
そこで、教会の牧師見習いさんがやっている英会話クラスを受けるようにしました。値段は\3000円だったし、「レズメも見てあげるし、いろんな英語関係で困ったときには、いつでも電話して来ていいよ」と言われていたので、一気に心強くなりました。
難点と言えば、話がすぐに脱線し、聖書と神様の話しになる事くらい。。。
-レッスンの後、一緒に昼ごはんを食べに行った時も、私:「いただきます。いただきますって英語でなんていうの?」
牧師見習い先生:「残念ながら、そういう素晴らしい言葉はないんだ。その代わりに祈ろう」
・・とレストランでお祈りする事になりました。。。
海外企業、応募してみた!
それでもヒーヒー言いながら、レズメを書き上げていきました。もうどこにも残っていませんが、今見るとひどい物だったと思います。
会社によってはカバーレターを求めて来る所もありますが、カバーレターを書くのは相当労力がかかる上に、会社によって文面を変えなければなりません。これは現実的ではないので、そういう会社は諦めました。(というか、そういう会社にも、カバーレターを含まずに応募しました。)
そしてついにポートフォリオのファイルとビデオテープ、そしてレズメを封筒に入れて送りました。
骨頭は、デザイナー系の仕事をしているので、ポートフォリオがあるのです。
最近はずっとやり方が洗練されましたね。
会社のホームページにだいたいCareerのコーナーがあって、そこからもう職種別に分かれています。
自分の職種を選んで、そのまま応募するか、メールを出すかですね。
ポートフォリオ等のアピール要素については、自分のホームページを持つべきだし、メールにそのリンクを貼っておくだけですね。
さて、そんなこんなでレズメとポートフォリオを送りました。
そこから来る日も来る日も返信を待っていたのですが。
最初の返信
カリフォルニアのある会社から返信がきました。
Thank you for your interest in our company.
(私達の会社に興味を持ってくれてありがとう。)
ホニャラホニャラ
We’ll reach out to you if we would like to consider you as a potential candidate.
Regards,
どびっくりしてその数行のメールを何度も読み返しましたが、「興味を持ってくれてありがとう」以外のポイントがみつかりません。
そうです。 Auto-response 自動返信です。
この会社からは結局なにも来ませんでした。
1ヶ月ほど経過
次の返信
私はアメリカとカナダの会社に応募していました。
次はカナダの大手からメールが帰ってきました。
― 君の仕事に興味を持っている。電話面接が出来るか?―
という内容でした。
心臓が飛び出るくらい興奮しました。
電話面接が来る!
電話面接が来る!
やっぱり電話面接をしなければならないのか? 電話での聞き取りは不安だ。
牧師見習いさんにも電話面接シミュレーションとかしていただき、後は人生初めての英語での電話面接!
当日は面接時間よりも随分早く起きて、愛用の単語/熟語帳、Duoを一回朗読。知ってる単語をど忘れないで、すぐに出てくるように。
電話がかかってきました。
最初の人。- 多分 人事(Human Resource)さん
一通りの社交辞令と、国籍のステータスとか、仕事のオファーがあったら何時から働けるかとか。
そして、「それではこれからプロデューサーに代わるから。」とのこと。
きました。ついにマジの 電話面接(phone interview, phone screening)です。
プロデューサー
「ポートフォリオはimpressive(とても良かった)だったけど、どこのパートをやったの?」
私
「全部です」
プロデューサー
「ううん。そういう事じゃなくて、どこの仕事のパートをやったの?」
私
「あの。ポートフォリオにある物は全て私がやりました。」
プロデューサー
「だから、そういう事じゃなくて、ここのデザインをやったとか、ここのモーションをやったとか、ここの配色をしたとか、そういう事。あなたがやったのはどこですか?」
私
「ですから、全部です。」
プロデューサー
「だから、そういう事じゃなくって 」
こんなやり取りがしばらく続きました。
これが私の初めてのプロフェッショナリズムの違い、分業制への洗礼でした。
日本では「プロジェクトに責任持てる人は全部出来て当たり前」なのに対して、北米では「全ての分野について優秀なんてありえないし、欲しいのは何かの分野のスペシャリストだから、他のスキルはいらない」という背景の違いがあります。
例えば、漫画でも、ストーリーの人、鉛筆で絵を描いていく人(penciler)、インクで絵を仕上げていく人(inker)、カラーを決める人(colorist)で分かれているくらいですから。
いまだったら、 日本と北米の文化の違い、自分は全部の分野で北米のプロフェッショナルと互角に戦えるほど力がある訳ではなく、結構いろいろチート(ずる)もしているが、ただ、中でもここのスキルは自分が一番誇れるところ、誰にも負けないところだ。ほかの分野にもある程度精通している事は私のメインの仕事をよりやりやすくするだろう
等の説明も出来たかとは思いますが、当時の私の英語力では
「全部やりましたー!」「本当ですー!」
と叫ぶのが精一杯。
撃沈しました。
最後はそのプロデューサーの気持ちも冷めているのが解ったし、「あ。駄目だったな」というのが解りました。
3回目の返信
2回目から数ヶ月経ちました。
いきなり自力で日本からの海外転職は「もう駄目かな」というのが現実的になってきました。
一方、その時働いていた社内では随分前から海外転勤希望は出していたのですが、ここの所で、以前の一連のプロジェクトの成果が出だしてきていたので、希望を押す機会も多くなりました。
「こういう事は誰かが推してくれるのを待つ」のではなく、「勝手に進めてしまうべき」と思った私はどんどん「出向する形」に動かしていきました。
そんなこんなで、海外出向するのがかなり現実的になってきていました。
ビザはどうだとか、出向したらどこの組織に所属するだとか、そんな話しになってきていました。
そして、3社目から連絡が来ました。
ここは米国カリフォルニアの中堅会社。それなりに名前も出ているが、いわゆる「トップ○強
と言われるところの規模よりは少し小さくなります。
メール内容
「返信が遅くなってすまなかった。こちらも仕事に負われていて、数ヶ月応募内容を確認する事が出来なかった。君の仕事は素晴らしい。私達は君のようなタレントを望んでいる。是非面接のプロセスに進めたいが、もう遅いだろうか?」
仕事に負われていて というのが中堅企業らしいし、中堅だけに、「なんでもやる」という日本流のやり方も合いそう。
ただ、決定して内定書(offer letter)をもらった訳でもないし、その後もビザ取得がきちんとできるかわからないところで、現行の会社の出向を断り、このカリフォルニアの中堅企業の申し出を進める訳には行きませんでした。
「あと少し早かったら。
と私も思いましたが、
「あと少し早かったら。」とその会社からの返信でも返ってきました。
― 今回はご縁がなかったのですね。-
なんだか凄く愛情を感じてしまいました。
一度はそこで働いて見たかったのですが、その会社は今ではその門を閉じられました。
という事で、骨頭は新卒から勤める日本企業の出向社員として渡米する事になったのです。
次記事「骨頭さんの西洋への冒険 その2 病の米国子会社 到着編

ところで、骨頭って、英語にしたら、Bonehead (間抜け)ですよね?
「え!」