American Excuses

アメリカに海外駐在した事のある人ならば、言うだろう。

アメリカ人は言い訳の名手である。

効果があろうがなかろうが、どんな局面であろうが、とにかく言い訳を繰り出してくるそのパワーには屈服である。

特にこの対応に慣れていない日本人が上層にいる日系米国支社ではでは“アメリカ人の言い訳“が通年災害の様に、猛威を振るうるのである。

言い訳ばかり言うアメリカ人

まだかわいらしい言い訳

ちょろい人、ちょろいケースの場合は、交通や家族の「仕方がなかった」言い訳です。

JohnD
家族が、子供の病気が。。
駐在太郎
それを言われたら何も言えないけど。。

JohnD
犬を預かったんですが、ジャックラッセルテリアでハイパーで大変なんです!
駐在太郎
知ったことか!仕事しろ!預かんな!

JohnD
トラフィック(交通渋滞)で。。
駐在太郎
本当か?まぁ、証明する方法は無いけど。

JohnD
古い車が故障していて、新しい車を買う交渉をしていた。
そんなの、締め切りの後にやれ!

 

いずれにしても、そんなの一日だけなんだから、もっと前からマネージ出来ただとというものばかりです。

姑息な言い訳

ちょっとシリアスになってくると、自分以外の不備を突いてきます。

JohnD
仕事の依存関係(Dependency)があって、他の部署が終わるまで手が付けられなかった。

・ツール、ソフトのせいにしてくる

JohnD
〇〇のツールと○○のソフトが動かなかった。
駐在太郎
こんな事がありました。仕事をしていないリードが居て、「〇〇の自社ツールの完成を待っているから出来ない」との事。私が、「この機能使えば出来るじゃん」と紹介したら、怒ってしまい、数日むくれていました。

 

JohnD
そもそもここの会社のパイプライン(仕事工程)に問題がある。自分たちの様な才能をきちんと使えるように出来ていない!
駐在太郎
なんでそれに締め切り最終日に気づくんだよ!

 

JohnD
指示内容が費用対効果があったと思えなかったので、もっと効率的なやり方を考えていた。
仕上がってなかったら、効率的な意味がないだろう。仕上げた後考えろ!

逆切れ

言い訳が見つからない、もしくは自分の能力に起因してくる失態になってくると、人を攻撃してきます。

JohnD
その日が提出日だと思っていなかった。
JohnD
この提出量で良いのだと思っていた。
駐在太郎
シレッとその面で良く言うな。良く面と向かって言えるなー!
JohnD
お前の英語では分からなかった
怒り侍
。。。。

これも何度も味わいました。仕事を頼んだ時にはわかっているのに、締め切りに出さなかった後には、こちらの言ったことが分からなくなっている。人の不利なポイント、ネィティブではないというのを突いた、卑怯なやり方です。

JohnD
上司からの度重なるディレクション変更があったので、それでスピードが著しく落ちた。

何度もスケジュールを確認したり、スムースに出来ない所を「ディレクション変更」にすり替え、「貴方のせいで遅れた」といきなり責任転換をしてくるケース。これをやられると、一気に人としての愛情が無くなります。

JohnMadD
この仕事の物量は狂ってる!おかしい!こんなのを支持するのは頭がおかしい。
いやいや。「十分出来る」って言ってたじゃん

Excuses

大体皆この範囲の中で言い訳してきます。

どれもが言いがかりだったり、最初から予測の付くものばかりなので、論破は可能なのはずですが、こういう時のアメリカ人は絶対に折れないので、当事者に認めさせようとすると泥沼の言い合いになる事が予想されます。

こちらは、きっちり認識してもらって、次に同じ失敗が起こらないようにしてほしいのに。

これが「人のせい」だったら、次も同じ事をするに決まっています。

でも反省するどころか、認める事さえしません。

日本人側は、ここに凄くジレンマを感じます。解決しないまま、引き下がるのも嫌だし、こちらが折れるのに抵抗を感じます。

でも、断固として認めないのがアメリカ人です。

何故自分の非を認めないのでしょうか?

何故ここまで頑ななのでしょうか?

もちろん、アメリカ人に「あんたらはどうして非を認めないのだ?何がそうさせているのだ?」と聞いても教えてくれる訳ではないですが、

私なりにはこうだと思っています。

動物に例えると、

日本人は

山奥に集落でまとまって暮らす山ゴリラみたいな生き物です。相互依存し生きていき、ルールもその中で決まっています。集落の弱いところを補い合い、別の集落からの攻撃に備えます。長く一緒に生きているので、日々の表面的な挨拶にはそれほど意味がありません。それよりは、お互いのニーズを知り合い、バランスを取って生きていくことに意味があります。集落内での約束やルールを守らなければ、その集落で生きられなくなってしまいます。山奥で、一人になってしまうのは、死を意味します。

一方アメリカ人は

広々とした台地に住むローランドゴリラ(陸ゴリラ)みたいなものです。集落を持たず、個人で、広い台地をうろつきながら、餌を取っていきます。別のローランドゴリラに出くわしたら、戦いにならないよう、出会いの挨拶をして敵意が無いのを見せます。初対面の別のゴリラにむっつりした顔をしたら戦いが始まってしまいますし、また一回にこやかな挨拶で戦いが起こらなければ、もう顔を合わす事もないでしょう。そこさえ切り抜けてしまえば、卑怯な事をしようが、二度と会う事もないのです。

アメリカ人が大らか、朗らかで、挨拶もにこやかにしてくるナイスガイであるのは、実は荒野で知らないゴリラに出くわした時の挨拶です。

特に米国は銃の所持が許されていますから、より一層真剣です。「私は貴方の敵じゃないですよ」「戦いはやめましょうね」というのがアメリカ人のナイスガイの正体です。

もちろんその場さえしのげば、もう会う事も無いので、二度とあとは野となれ山となれです。

会社という組織も一緒です。日本の会社が一生縛られる”家紋”なのに対し、米国の会社は一時期協力し合うCompanyです。

ルールを破ったところで、一生村八分なんて言う事は無いのです。

さて、こんな荒野に住むアメリカ人、個人で大きな台地を生きています。出会う相手は一度きりの、敵か、一定時期一緒にいる人かで、少なくとも味方ではありません。

そんな中で、自分の失態を認める事、反省する事は、自分の弱さを見せる、自分の負傷箇所を見せる事と同じです

敵だらけの荒野の中、腹に負った「傷」を見せてしまったらどうでしょうか?

たとえ100万ドルのほほえみでナイスガイの挨拶をしても、その傷を見た他の動物が一気に襲ってきますね。

そうなんです。

アメリカ人にとって、自分の失敗を認めるというのは、弱肉強食の荒野の中で、自分の傷(Wounds)を見せてしまう事なのです。

ライオンの生息地サバンナで、傷を開き、血の匂いをさせるような物です。

どうですか?

どんなにアメリカ人に自分の失敗を認めて、反省を求めても、絶対にしない理由が分かってきたでしょうか?

アメリカ人が誤らないのも、ナイスガイなのも、卑怯なのも、全てこの前提があるからです。

そうなんです。どんなに認めさせようとしても、それは徒労なのでした。

それでは、どうすれば良いのでしょうか?つぎの記事で説明します。

駐在員サバイバル、まとめの

米国駐在員に贈る、現地での成功法はこちら

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